「30の失敗で分かる日本史」①著 金谷俊一郎 内容とレビュー

本レビュー

こんにちは!今回は日本史の本を読んだのでアップしますね!


〇こんな方にオススメ

・失敗という観点からみた日本史に興味のある方

〇本書のゴール

・歴史の失敗を学んで今の判断の材料にする

 こんにちは!今回は「30の失敗で分かる日本史」著 金谷俊一郎先生の本の内容とレビューになります!金谷俊一郎先生には、かつて東進ハイスクールでお世話になったのを覚えており、金谷先生が分かりやすく古代から現代までを30の失敗でわかりやすくまとめています。一通り投稿したいと思ったので、今回は古代~奈良時代までを載せてみます。では内容となります↓

日本史を学ぶとは

 日本史を学ぶとはつまり、過去の歴史の失敗と反省から、「次の決断」をとらえることとしており、過去に存在した全ての人間から学ぶこととしています。歴史=人間の決断の積み重ねであるとも表現しており、歴史を学ぶことは今の決断をする際にも参考となるため、重要としています。

アニミズム~大化の改新までの失敗

 古代、日本は海水面の上昇に伴い日本列島が形成されますが、平野が少なく牧畜に不適格なため、食料確保に苦闘したことから始まります。そのため、アニミズムの信仰がはじまり、宗教的支配が強まっていきます。そうして、成立したのが卑弥呼(シャーマン)を中心とする呪術的統治がはじまります。しかし、3世紀頃に卑弥呼が亡くなると、後継者がいなくなったため今度はヤマト政権が樹立します。現在の奈良県あたりに宗教的権威と武力行使ができる統治機構の誕生になります。大王おおきみうじ:血縁的同族集団との主従関係により成立していました。その後、中国の史書において日本の記述がなくなります。空白の4世紀を経て5世紀に登場した際は、

ヤマト政権は技術をもっている渡来人を重用しはじめる→蘇我氏の台頭を許した(失敗)

・大伴氏・物部氏など強力な豪族を生み出した

という変化が起こり始めます。

6~7世紀になると、仏教優先となっていきます。背景としては、

・物部氏・中臣氏(神道メインの朝廷配下の祭祀)ー仏教反対

VS

・蘇我氏(朝廷の財務担当)-仏教賛成(大陸式の人間、渡来人=仏教)

があり、蘇我氏は厩戸王(後の聖徳太子)と組み朝廷の制度改革に取り組む一方、天皇家と婚姻関係を結び勢力拡大を狙います。しかし、大陸型の人間であるため天皇を段々軽んじるようになっていった(失敗)としており、自らの屋敷を「御門」、自分たちを「天子、東宮」と呼ばせ、神道を軽んじるようになり、仏教を保護しはじめたとしています。そんな中、中大兄皇子は、

①蘇我氏の言いなりになり、蘇我氏が御門のようにふるまうことを許し自分はそのまま生かされるか

②蘇我氏に反対して、山背大兄皇子のように殺されるか

の2択を迫られます。この時、実際の決断は第③の道、蘇我氏を誅滅することを選択したとしています。これが645年に起きた大化の改新としています。ここで中臣鎌足が入っているのは、朝廷の祭祀で神道の中心にいた人物であり、仏教を優先する蘇我氏に不満をもっていたため、討伐に加わっているのは納得できますよね。

大化の改新~奈良時代初期まで

 大化の改新後、中大兄皇子は温厚な叔父を孝謙天皇として即位させ自らは皇太子という立場で政治改革を行います。中大兄皇子は蘇我氏の強大化による皇族の影響の弱体化への反省から、以下のような政策を実施します。

・唐の律令制をモデルとした天皇中心の中央集権体制

・都を遷都し、高向玄理、国博士僧旻を登用した

・公地公民制を実施し、土地並びに人民は国家が管理

・班田収授の法により新しい租税制度を作った

これら、唐の中央集権体制をモデルとし、天皇を中心とした運営体制を築き上げます。しかし、中大兄皇子はエンペラーが絶対的な権力を握るというその1点からしか中央集権体制を考えていなかった(失敗)と伺えるため、徐々に独裁化していき、直系以外をはねのけていきます。こうして、反発を招いた結果、没後、672年壬申の乱が起き、天武天皇が即位し、皇親政治がはじまるとしています。

 皇親政治とは皇族の一族が権力を握る政治体制であり、天武・持統・文武帝の3代でその基盤を作りあげます。具体的には、

・八草の姓:真人まひと朝臣あそん宿禰すくね忌付いみき道師みちのしおみむらじ稲置いなぎの8つの身分制度を作り、壬申の乱で天武側だった豪族は高い位へ、その他の豪族は低い位へ振り分けた

・大宝律令

・都城をつくる:藤原京を作り、天皇が崩御するとその都度遷都していたが、天皇が変わっても同じ場所で政治ができるようにした。

 これらの政治改革を行います。この基盤を築き上げるには皇族の力だけでは数が足りないので、高度な官僚組織を必要としました。そこで活躍したのが、中臣鎌足の息子、藤原不比等でした。藤原氏は皇族と連綿な婚姻関係を結んでいき勢力確保に努めます。この時の藤原氏は蘇我氏と違ってあくまで天皇を戴くというやり方でその権力を確固たるものにしたとしています。蘇我氏は入鹿亡き後、あくまで天皇から自立しようとして失敗しました。

 文武天皇が25歳の若さで亡くなると、母親であり不比等の娘である光明子が元明天皇として即位し、都を縁起を担ぐため、平城京に遷都します。ここで奈良時代の幕開けとなります。奈良時代は藤原氏VSアンチ藤原氏のシーソーゲームが展開されていきます。


いかがでしたか?日本史ってその当時の人物の心情をイメージすると面白いですよね!


単純に年号と登場人物だけ覚えるよりも楽しいですね。


書評

 日本史も理由から入ると覚えやすいといわれますが、こういった本で基礎知識を固めるのもありだなと思いました。浪人時代は完全に詰め込んでいたので笑 本書は登場人物の周辺事情や、その背景などを関連させて記載しているので、わかりやすくて面白いなと思って読んでみました。今回の蘇我氏と藤原氏の違いのように、藤原氏は蘇我氏の失敗を知っていたのかわかりませんが、結果として同じ失敗はしなかったということですね。本書は現代までキチンと書いているので、あまりに長くなるために全体を分割して投稿していこうと思います!今回は以上となります。最後まで読んでいただきましてありがとうございました。ではー。

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わたくし(ベイファン)

野球好きな30代家業2代目!当ブログでは、株式投資など自分の興味のある事柄で、有益だと思った内容を投稿しております!以前はWebライターとしても活動しておりました!主な略歴は、Webライティング実務士、校正実務講座修了、株式投資最大利回り約280%を達成しており、様々な投資活動にも注力中!何卒、よろしくお願い致します(^^)/ 【注意】投資情報はあくまで参考程度に流し読みしていただけますと幸いです。投資は自己責任となりますので、損失が出た際の責任は一切負いかねます。何卒、ご了承いただきますようよろしくお願い致します。
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